- 2013-12-11
- ツイート
フロントランナーvol.28
世界最大の鳥・ダチョウがつくり出した
インフルエンザ・花粉症を撃退する“夢の抗体”
京都府立大学生命環境学部 教授 塚本 康浩
1968年大阪府生まれ。獣医師、獣医学博士。大阪府立大学農学部・大学院修了後、98年に同大学助手に就任。99年よりダチョウの研究を本格化させ、2005年、助教授に、2008年、京都府立大学に移り現職。ダチョウの卵を使った抗体およびそれを活用した商品の開発で注目を集める。ダチョウ抗体入りマスクは累計7000万枚の大ヒット商品になった。著書に『ダチョウの卵で、人類を救います』『ダチョウ力』がある。
インフルエンザにとどまらず花粉症・アトピーにも
インフルエンザの季節がやってきた。しかし、そう遠くない将来、「インフルエンザが脅威ではなくなる日」が来るかもしれない――。京都府立大学の塚本教授は、ダチョウの卵でインフルエンザなどのウイルス抗体をつくる技術を開発。従来よりも効果的で格段に安くつくることができるそれは、「画期的な方法」として世界から注目を集めている。ウイルスにとどまらず花粉症やアトピー性皮膚炎などへの応用も始まった。果たして、ダチョウの卵にどんな秘密があるのか。「人類の救世主」がもつ驚くべきパワーに迫ってみよう。
ここに1枚のマスクがあります。とくに変わったところはありませんよね。見た目は普通のマスクと同じです。でも、これにはものすごいパワーが秘められているんですよ。違いは、ダチョウの卵からつくったインフルエンザの抗体を染み込ませているという点です。それによってウイルスの感染力が失われる。共同で開発した会社が2008年に発売を始めたのですが、すでに累計で7000万枚超える大ヒット商品になりました。また、花粉の抗体も入れるようにしたことで、さらに評価が高まっています。
なぜ、ウイルスの感染力が失われるのか――。詳しい説明の前に、まずは抗体とは何かについて簡単にお話しておきましょう。
私たちは体内に入ってきた異物を退治する優れたシステムをもっています。それは免疫と呼ばれ、入ってきた異物が「抗原」、退治する物質がタンパク質でできた「抗体」です。たとえばインフルエンザウイルスが浸入してきたとしましょう。このとき、白血球などが抗原であるウイルスを攻撃し無力化します。と同時に、私たちの身体はウイルスの残骸に反応する抗体をつくるんです。抗体はYの形をしており、2本の角の先端が抗原の形状(姿形)にぴったり合うようになっている。それにより素早く敵に取り付くことができ、白血球と連合して抗原をやっつけるんです。
抗体はある特定の敵を専門にした特殊部隊ということができるでしょうねぇ。しかも、一度浸入した異物の形を私たちの身体は忘れません。次に同じ敵が入ってきたとき、ただちに抗体をつくるという能力ももっています。
この一連の仕組みを「抗原抗体反応」、あるいは「免疫反応」と呼ぶのですが、ワクチンはこれを応用しています。体内に抗体や無害化した抗原を入れて、異物の浸入に備えたり退治するわけです。ちなみに、風邪を引いたら私たちは鼻水が出たり、熱が高くなったりするのは、白血球などがウイルスと戦っている証拠。ただし、特定の物質について抗原抗体反応が過剰に現れることがあって、これが「アレルギー」と呼ばれるものです。花粉も身体にとっては、まさしく異物で、異物だからこそ免疫が働き、人によっては過剰に反応する。悩ましい花粉症も、実は免疫によって引き起こされるんです。
それにしても、「なぜ、ダチョウなの?」って思いませんか。
従来、インフルエンザの抗体はニワトリやウサギ、マウスなどからつくられてきました。しかし、とても高い。1gあたり数億円もします。対して、ダチョウの卵から取れる抗体はわずか10万円ですみます。抗体が取れるまでの期間も2週間。もし、人から人へ感染する新型のインフルエンザが発生しても、ダチョウの卵を使えば安価なワクチンを、素早く、大量に生産できます。「パンデミック(感染症の爆発的流行)」の切り札になり得る!
そのつくり方ですが、まずダチョウに無害化した抗原を注射します。ダチョウの体内には大量に抗体ができ、抗体は卵の中にも移っていきます。その状態で産卵。あとは、卵を割り遠心分離機を使って、黄身の中から抗体を取り出すだけ。抗体は体外に出されても効力を失わないという特性をもっています。ワクチンとして人間の身体に入っても、効力を発揮するのはそのためで、マスクに染み込ませても同じです。
下の図を見てください。ダチョウマスクの断面図ですが、緑色をしたYの形をしたものがダチョウ抗体で、近づいた異物に取りついているのがわかりますよね。抗体に取りつかれた異物は不活性化して感染力がなくなります。私たちの実験では、普通のインフルエンザなら10分間で99.9%以上抑制できることがわかっています(鳥インフルエンザ=H5N1型も同様)。花粉だったら1時間で85%以上の抑制率。これだけすごい効果があるのに、抗体を大量に安価につくれるから値段も安い! ダチョウマスクが、注目を集める理由がわかっていただけたでしょうか。
ダチョウの卵=人類を救う「金の卵」
塚本先生は鳥の病気の専門家だ。幼いころからの鳥好きで、それが高じて獣医学の道に進んだ、という。大学・大学院でも家禽類(家畜として飼育される鳥)、なかでもニワトリの病気の研究に取り組んできた。ニワトリのガンの研究で博士号も取得している。そんな塚本先生にあるとき転機が訪れた。ダチョウを飼っている牧場の存在を耳にしたのだ。ニワトリの研究に一段落がついたころでもあり興味が湧いた。ただし、その段階ではダチョウの卵が「金の卵」になるなど想像もしていなかった。
ダチョウといえば、みなさんもご存知のとおり世界一大きな鳥。無類の鳥好きだった私は、動物園で初めてダチョウ見たとき、無邪気にも「すごいな~、飼いたいなぁ~」と思ったものでした。体長が2m50cmもあるんだから、もちろんそんなことはムリで単なる憧れに終わったのですが、その憧れの鳥を間近に見ることができる場所がある。ダチョウの研究は世界的にもあまり進められていなかったので、うまくいけばダチョウの行動観察で論文も書けるかもしれない。そんなふうに思うと、いても立ってもいられない。そう、「不純な動機」(笑)がそもそもの始まりだったんです。
だからなんでしょう、当初の目論見は大外れで、行動に規則性を見つけるなんて無謀な試みだということがすぐにわかった。言葉は悪いのですが、ダチョウは「アホな鳥」(笑)なんです。常に、右に左にと動き回っているのですが、それらは何かを考えたうえでの行動ではありません。それが証拠に、崖の上によじ登り降りられなくてパニックになるなんてヤツが出てくる。一事が万事この調子で、鳥の専門家として経験を積んできた私でも、持っている知識がまるで通用しない相手でした。また、一般に鳥は清潔好きで知られていますが、ダチョウは身体の汚れをまったく気にしません。糞がついていても平気な顔。「こんな不潔な鳥がいていいのか?」なんて、さすがの私もうめいたほどでした。
ただ、ふと気づいたんです。これだけ不潔で、不注意でケガをすることも多い動物なのに、長生きするのはなぜか? ダチョウの寿命は60年もある。もしかしたら、この長寿の秘密は感染症に強いからではないだろうか? こうしてダチョウの免疫力の研究がスタートしたのですが、研究という名目がつけば「大学でダチョウを飼うことができる」という、これまた「不純な動機」があったことも正直、告白しておきましょう(笑)。
ともあれ、大学での飼育と研究が始まりました。ダチョウが逃げて大騒ぎになったり(ダチョウは時速60kmで走ります!)、暴れるダチョウの血液を採取しようとして、蹴り飛ばされそうになったり……それはそれは大変な目にも遭いましたが、おかげといったらいいのでしょうか、大量の抗体を安価に取ることができるという、すごい成果を得ることができました。
卵の大きさは、ニワトリのそれと比べるまでもありませんよね。人間の大人の顔くらいあります。そこから取れる抗体の量はニワトリの30倍(約4g=マスク4万~8万枚分)。しかも、ダチョウは年間100~120個も産卵するんです。死ぬまで卵を産み続けるので、一生だと3000~5000個にもなる。しかも、わずか2週間で抗体をつくり取り出せることもわかりました。それ以外にも、まだまだ利点は多いのですが、ダチョウはモヤシと牡蠣の貝殻だけで生きるので餌代は安くてすむし、不潔のままで問題ないから施設代もかからないという点を最後に付け加えておきましょう(笑)。
一方で、2年がかりで、先にお話した「効率的に抗体をつくり取り出す方法」を確立しました。ニワトリを使った感染実験でダチョウ抗体には「高病原性鳥インフルエンザ(致死率が高いインフルエンザ)」を無害化する高い能力があることも確かめた。つまらない駄ジャレなどではなく、まさにダチョウの卵は私たちにとって「金の卵」だったわけです。
がん治療に向けての研究も本格化
肝心のダチョウは、神戸市の山間部にあるダチョウ牧場ほか、京都府精華町の大学施設でも飼育されている。塚本先生はこの2か所と、京都市内にある自身の研究室を行ったりきたりの毎日だ。その塚本先生のこれからの目標は何か。まずはダチョウ抗体を人間に応用することの許可を得ることだ。すでにニワトリを使った実験で有用性を証明しているが、臨床試験を経た実用化に向けた取り組みに力を入れている。一方、自ら大学発ベンチャーを立ち上げ、ダチョウ抗体を使った新たな商品や技術の開発も進めている。人間の病気の治療、なかでもガンに関しての研究が視野に入り始めた。
すでにいろいろなメーカーと一緒に、ダチョウ抗体を使ったさまざまな商品を開発してきました。たとえば、空気清浄機用のフィルターや、食中毒の原因となるノロウイルや大腸菌、サルモネラ菌、O157などの抗体を入れた醤油、納豆など。何年か前にユッケを食べて死者が出た、という事件がありましたが、その際は抗体入り醤油は完売したものです。腸の中に抗体が止まっている限り、万が一、こうしたウイルスを食べてしまっても発症を押えることができるんですよ。また、アトピーの原因菌である黄色ブドウ球菌を配合させた塗り薬の発売も始まっています。「動物衛生学」の講義の際、アトピーに悩んでいるという学生40人に試作品を配ったところ、約9割から「効果が認められた」との結果を得られた、といったこともありました。こうした、多くの人が喜んでくれる“いいもの”を、どんどんつくり続けていきたいですね。
でも、やっぱり一番の目標は、人間のガンへの応用でしょうね。鳥のガンの研究からスタートしたこともあって、ガン治療に対する思いは人一倍強く持っているんです。
現在、取り組んでいるのが肺がん治療薬の開発です。肺がんはがんのなかでも最も死に至る可能性が高く、なかなか発見するのも難しい。がんの転移に関係するたんぱく質の分子をブロックする抗体を開発、その有効性はある程度、確認できましたが、こちらはまだ実用化にはいたっていません。一方で、肺がん検査キットの開発も進めており、こちらは「もう間もなく」という段階でしょうか。がん細胞からは特定のたんぱく質が出ており、抗体を使いそれを検出しようというものです。採血でがんの有無だけでなく発症の場所も特定できるようになります。できるだけ早く、完成にこぎつけたいですね。
さて、小学生のころから鳥を飼い始めているので、もう数え切れないほど多くの鳥を飼ってきたことになります。そして、いまは世界最大の鳥を飼育している。しかし、多くの鳥を飼ってきたということは、その死に接したということも意味します。私が、「ダチョウ抗体をなるべく多くの人を救うことに使いたい」と考えるのも、これら亡くなった鳥たちの命を無駄にしなくない、という思いをもっているからです。まだまだ、彼らの恩に報いたとはいえないでしょうね。もっとももっと、ダチョウたちと一緒に、人の役に立つものを研究しつくっていきます。
中高生のみなさん、どうか応援してくださいね。そして、この記事を読んだことを機に、ダチョウという愛すべき鳥と、彼らが生み出す抗体に注目してくれることを願っています。
《文=WAOサイエンスパーク編集長 松本正行》