• 2014-11-10

フロントランナーVol.43

歩く姿で人物を特定する!
犯罪捜査に威力を発揮する認証システムを開発

大阪大学産業科学研究所 教授 八木 康史

1959年生まれ。大阪大学基礎工学部卒、同大学院修士課程修了。三菱電機産業システム研究所を経て、大阪大学助手、助教授等を経て、2003年より産業科学研究所教授。現在は同研究所所長を兼務する。全方位視覚センシング、人画像理解、医用画像処理、知能ロボットに関する研究に従事。日本における歩容認証研究の第一人者として知られている。

2歩分の映像があれば識別は可能に

犯罪捜査にも続々と“科学の目”が導入されている。DNA鑑定などはその最たるもので、有力な証拠になっていることはみなさんもご存じだろう。そんな科学捜査に、もうひとつ強力な武器が加わろうとしている。それは歩く姿の解析――。防犯カメラに映った人間の歩く様子から容疑者を絞り込む、というものだ。難しいとされていたその技術が、実用の段階に一歩に近づいた。研究の第一人者・大阪大学の八木教授に解説してもらおう。

 2009年、私の研究室に奈良県警からある鑑定依頼が寄せられました。持ち込まれたのは防犯カメラの映像で、前年に起きた放火未遂事件のもの。犯人の顔はわからないものの、歩いている姿が映っていました。以前であれば、とても逮捕の決め手になるものではありません。しかし、私たちは2歩分の映像があれば90%以上の精度で人物を識別できる技術を開発していました。解析の結果、容疑者とされる人物と映像の男は「同一である可能性が高い」と鑑定。これも決め手のひとつとなり、放火未遂犯は逮捕されました。残念ながら、イギリスで前年(2008年)、私の友人でもあるイギリス人研究者の技術を用いて強盗犯が逮捕されていたので、「世界初」とはいきませんでしたが、それでも世界で2例目だったのです。
 みなさんも、遠くにいる人の歩いている姿を見て、家族や友人であることがわかったという経験をお持ちでしょう。人間の歩き方(=「歩容」)は、意外と個性的なんです。わかりやすいのが歩く姿勢の違いで、前かがみの人がいる一方で、お腹が出てそっくり返るように歩く人もいます。歩幅もずいぶん違う。腕の振り方も個人差が大きく出ます。案外気づかないのは「非対称性」でしょうね。右手は振るけど、左手はほとんど動かないという人が意外といるんです。カバンの持ち方などで、そのような癖がつくものと思われます。
 こうした歩く姿の個人性によって個人を識別する技術が、私の研究する「歩容認証」です。歩容認証の特長はいろいろありますが、最大のそれは、遠くからでも個人を識別できるという点でしょう。代表的な認証技術と比較してみると――。
 指紋認証は、いまではスマホなどにも活かされるようになっていますが、センサ部分に指を接れないといけません。非接触タイプのものでも10cm以下は必要です。急速に進歩したDNAによる識別の場合は身体の一部を使うので、センサとの距離は指紋よりももっと近いといえます。
虹彩(こうさい)認証といったものもあります。虹彩ってわかりますか? 目の中の黒目にあたる部分の薄い膜ですが、ここには皺のようなものがあって個人個人で模様が異なっています。これで識別ができるのです。ただし、センサとの距離は約50cm。顔による認証でもやはり同じくらいの距離まで近づかないと識別できません。ちなみに、こうした身体の一部を使って個人個人を識別する技術のことを生体認証=バイオメトリクスと呼んでいます。
 歩容認証はどうでしょう? カメラやコンピュータの進化で100m近く離れた場所から撮った映像でも解析することが可能になりました。その差は歴然ですよね。
 冒頭で犯罪捜査に活かされた例を紹介しましたが、さらに技術が進めば、オフィスで従業員の歩き方を登録して部外者を判断する、といったこともできるようになるでしょう。世界的に問題になっているテロリスト対策にも有効です。また、データベースを構築することで年齢や性別も判別できるようになるため福祉やマーケティングへの応用も考えられます。
 このように歩容認証は非常に大きな可能性を秘めた技術なのです。

歩容認証がなかなか実現できなかった理由

歩容認証は、パターン認識という技術がベースになっている。パターン認識とは、文字や映像、音声などの情報をある種のパターンとして登録、新しく入力した情報と照らし合わせるというものだ。現在の情報化社会ではいろいろなところに活用されている。入力された情報から何を取り出してパターン化し、どう比較するかが重要なポイントとされるが、歩容認証ではなかなか有効なシステムを確立させることができなかった。八木先生たちは研究を積み重ねることによって、大きなハードルを乗り越えたのだった。

 ここで簡単に、私たちが開発した歩容認証の仕組みをご紹介しましょう。
 上の図を見てください。人の歩く姿がシルエットになっているのがおわかりいただけると思います。まずは、映像からこのようなシルエットを作成することからスタートします。上の段の緑の箱で囲っているのが犯行現場の映像からつくったもので、赤の箱で囲ったほうが容疑者とされる人物の歩く姿をシルエット化したものです。この2つの「歩き姿と動きの特徴」を比較し相違している度合いを測って、犯人かどうかを判断するわけです。違いが大きければシロ。違いが小さければ犯である可能性が極めて高い。現在のところの精度は94%で、DNA鑑定には及びませんが、容疑者の絞り込みに使えるレベルには十分達しています。いずれにしろ、人間が膨大な映像情報を見て調べるには限界がありますが、コンピュータは疲れを知りません。また、私たちが開発したシステムだと不鮮明な映像でも対応可能なので、そこも強みといえるでしょう。
 さて、原理はこのようなものですが、実際はもっともっと複雑な作業(計算)をしています。だからこそ、なかなかシステムの構築できなかったのです。例を挙げると、シルエットの作成に際して、人物の背丈や観測する距離などを勘案し数値を合わせないといけません。鑑定にも独自に開発した「周波数解析」「確率関数」を用いるようにしています。映像を数値情報に変換することで、判定にかかる時間を早め、精度も高めているのです。
 まだあります。前方から撮影した映像と、横から撮影した映像では、まったく違いますよね。犯行現場の映像の鑑定を想定するならば、どの方向からのものでも対応できないと意味がありません。そのため学習用のサンプルを集め、向きだけに依存する要素を調べて、「方向変換モデル」といったものをつくりました。これにより、欲しい向きのシルエットを自動で作成できるようにしたのです。
 服装の変化も難しい。上はダウンジャケット、下はパンツの女性と、ブラウスにスカートという人では見え方が全然違いますよね。男性でも夏場の服装とロングのコートを着るような冬場では、同じ人物でも異なって見えます。どう対処すればいいか? 私たちが考えたのは「変化を及ばさない部分はマスクしてしまおう」です。要するに、胴の部分はマスキングして隠し、首から上と膝から下だけで鑑定するという方法です。精度は若干下がりますが、確からしさを計ることはできる。さらに、身体の部位を8つに分け、パーツごとに“重み”を変えるというやり方も取り入れ補強しました。もちろん、この重みも事前にサンプルを取って求めています。
 もっとも、ここまでやっても識別できない、というケースはありまして……。着ぐるみの場合はちょっとねぇ(笑)。まあ、そういう極めて特殊な例は別にして、たいていのケースは対応できるようになりました。歩行の速度や低フレームレート(フレームレートとは1秒当たりの映像のコマ数)への対応も進めており、さらに鑑定の精度を高めるよう研究しています。


(雑踏のなかでも人物が特定できる時代はそう遠くない)

歩容認証は大きな可能性を秘めている

八木先生たちの開発したシステムは、警察庁の科学警察研究所(千葉県柏市)に導入され、実用化に向けた評価が進められている。先生のような専門家が鑑定するのではなく、シルエットの作成から照合、鑑定までをパソコン上で現場の捜査員が行えるようにするのが目的だ。冒頭に出てきた奈良の事件以降、犯罪捜査での鑑定依頼は増加している。容疑者の絞り込みに歩容認証が当たり前に使われるようになる日も、そう遠くはないだろう。

 すでに話しているように、私たちは認証の精度を高めるため膨大な数のサンプルを採集しています。それらをもとにデータベースを構築(歩容データベース「OU-LP」)、これは現在のところ世界最大の規模を誇っているんですよ。その数4000人超。この種のデータベースは、サンプルの数が増えれば増えるほど信頼度は増しますので、さらに規模を拡大していくつもりです。とくに、60歳以上の方のサンプルが少ないので、読者のなかにそのような方がいて、「協力してもいい」という人はご連絡お待ちしています。
 さて、少し触れましたが、歩容認証はいろんなところに応用できる可能性を秘めています。
 一番わかりやすいのは防犯で、迷子の検出がその代表例ですね。ディズニーランドやUSJといったテーマパーク、巨大なショッピングモールでの迷子の発見も容易になるでしょう。不審者の歩き方のパターンを登録して万引き防止に利用したりもできます。福祉分野だと、最近、徘徊が原因で行方不明になる人がけっこうおられますが、こうした人たちを見つけ出すことにも一役買うと思われます。また、マーケティングも応用分野のひとつです。これについては少し説明が必要かもしれませんね。大型店舗のあるフロアにいる人は、どの性別の人が多く、年齢がいくつくらいかは商品構成を考えるうえでの貴重なデータとなります。歩容データベースを使えば、こうした情報を得ることが容易になるのです。
 歩容に限らず、人が映った映像の解析は格段に進歩しました。人の動き方から、感情や意図を理解するといった研究も進められています。こちらも、防犯や人の購買行動といったマーケティングにつながる。ちなみに、私たちの研究室ではペンの持ち方の特徴から個人を識別する技術も開発しました。指紋などに比べて偽造がしにくく、重要スペースへの出入室管理などに使えると期待されています。署名する動作をカメラで撮影し、ペンを持つ手の形やペンの傾きの特徴を捉えるというもので、95%の確率で本人を正しく識別することが可能なんです。
 他にも、いろいろな認証技術が開発されることでしょう。それによって、ますます私たちの生活が豊かに、また社会が安全になればいいですね。私たちも頑張ります。期待してください。
《文=WAOサイエンスパーク編集長 松本正行》

大阪大学産業科学研究所八木研究室Webサイト