• 2012-09-27

フロントランナーVol.1

動物の遺体を解剖して見えてくる
生命の謎・進化の不思議

東京大学総合研究博物館 教授 遠藤 秀紀

1965年東京都生まれ。東京大学農学部卒業。国立科学博物館、京都大学霊長類研究所を経て、2008年から現職。動物の遺体を知の財産として未来に引き継ぐ「遺体科学」の提唱者。『解剖男』『パンダの死体はよみがえる』など著書多数。最新刊は『東大夢教授』(2011年7月、リトルモア)。

7トン強もある象を解剖・標本に

動物の遺体を集め、解剖・観察・分析する「遺体科学」。その言葉自体は遠藤先生の造語だ。一般には、「解剖学」と呼ばれるのだが、あえて遠藤先生は「遺体科学」を使う。そこには、何万点もの動物の遺体と向き合ってきた、遠藤先生の強い思いが込められている。

 僕のことを「解剖男」なんて呼ぶ人もいますが、まさにそのとおりですね。毎日のように何か解剖しているし、寝ているとき以外は生き物の遺体のことばかりを考えていますから。24時間、動物に向き合っている感じです(笑)。
 たとえば、ある動物園から「象が死んでしまった」という連絡が入ったとするでしょ。夜中であろうが即、引き取り作業の開始です。遺体を運んでくれるトラックを手配し、学生や研究仲間、時にはOBなんかも総動員して、解剖と標本化の準備に取り掛かります。小さな象でも何トンもありますからねぇ、それはそれは大変な作業。多摩動物公園の「タマオ」なんか7トン強もあったかなぁ。でも、そうやって苦労して集めた遺体から実にたくさんのことがわかるんです。生き物の身体の秘密とか生命進化の謎だとかね。ただし、秘密や謎を教えてくれるのは、象など珍しい動物に限らない。ごくごく身近な動物の遺体から、それらがわかることもあります。
 だから、僕は遺体を「無制限・無目的」に集めるんです。「これは目的と違うから必要ないなぁ」だとか、「イヌはいっぱいあるから、今回は・・・・・」なんてことは絶対に言わない。とにかく集める。ひたすら集める(笑)。そして、解剖して調べ、標本にする。「なぜ、そこまで」と言われることもあるけど、どの遺体から思わぬ発見があるかわからないし、数を増やすことで信頼性を高めることにもつながりますからね。そして、集めた遺体や骨を博物館や研究施設に収蔵できる形にして、未来の人たちに引継ぐんです。
 これが私の言う「遺体科学」。後世に数多くの動物の遺体を残していくなど、その言葉には私なりの新しい考えを持ち込んでいるわけです。

(キリンなど大型動物の解剖は重労働かつ時間との勝負だ)

パンダの7本目の指を見つけた!

動物の遺体が届けられると、遠藤先生はまず「今回は何をテーマに解剖していくかを考える」という。「〇〇が注目されているから、××の形状を中心に調べてみよう」という具合で、そこが遺体科学者の腕のみせどころとなるわけだ。パンダの7本目の指の発見などは世界を驚かせた遠藤先生の代表的な研究成果である。

 象の鼻がなぜ、あんなに長くなったのか? 長くなるのに何千万年もかかったと思うけど、私たちがその歴史を巻き戻して調べることなんかできませんよね。可能なのは、いまあるものに当たっていくことだけ。しかし、かたっぱしから調べると、何かが見えてくるかもしれない。この点で、遺体科学は歴史学に似ているんですよ。文献や遺物をこつこつ集め調べるのが歴史学。いますぐには役立たないかもしれないけど、それらをもとに将来、誰かが何かすごい事実を見つけるかもしれない。遺体科学も、とにかく動物の遺体を集め、データと標本を蓄積していく。そう、目立たない仕事(笑)。だけど、将来、それこそ生命誕生の謎の解明などといった、すごいことにつながるかもしれないんですよね。
 ただ、目立たないけど、時に大きな発見もあります。それも遺体科学の醍醐味といえるでしょう。
 ひとつ、みなさんに質問です。パンダの指って何本だと思いますか? ちゃんとした指は私たちと同じで5本なんですが、20世紀の初め手首に近いところに突起があることに気づいた研究者がいて、長い間、「パンダの指は6本」が定説になっていました。でも、95年に上野動物園の厚意で、死んでしまったフェイフェイを解剖させてもらったとき、僕は「この説には無理があるんじゃないか?」と思った。突起と5本の指の間には距離があって、これではしっかり笹をつかめそうになかったからです。そこで、CTスキャンという「身体の中を透視できる機械」を使ってフェイフェイの手の断面図を大量に撮った。さらに、遺体にモノを握らせた状態でも撮影した。そうやって細かくデータを集め調べていくと、親指側にある突起とは別に、小指の側にも突起があることがわかったんです。これら2つの突起を支えにして初めてパンダは上手に笹を握ることができる。つまり、指は7本。これには世界中の研究者が驚いたようですね。
 それにしても、もともとは普通のクマだったものが、長い年月をかけて、このように進化したんです。不思議ですよね。
 他にも、サイの鎧は一種のラジエターで、「逃げて走ったりするとき体温が上がり過ぎないためのものである」とか、アリクイ(長い舌をアリ塚に入れてアリを食べる動物)のアゴが「ハの字」に開くだとかは、僕が世界で最初に詳しい仕組みを明らかにしました。

(ラッコの解剖。このときのテーマは四肢の形の記録)

博物館は未来に向けての“箱舟”

遠藤先生は小さなころから解剖に興味があって、小学3年生のときには、死んだ金魚をハサミで切り刻んだ、という。金魚の身体を動かす仕組みを自分の目で確かめたかったからだ。また、動物の美しい姿にも魅せられた。さらに、生物の進化についての興味から、動物そして解剖の世界に進んでいった。

 動物だけに興味があったわけではなくて、とにかく動くものに関心をもつ子どもでした。乗り物図鑑などを眺めるのが大好きな少年。実は、私、鉄道マニアでもあるんです。ただし、電車や汽車が動く仕組みを知ったり実物を見たりして、「キレイだな、美しいな~」と思う、ちょっと変わった「鉄ちゃん」なんですけどね(笑)。
 中学生や高校生、大学生なんかも、そういった自分の興味や関心をもっともっと大切にしてもらいたい。最近は、何か経済合理主義というか、こうやれば「得か損か」ということばかりに目が行きがちですが、自分の夢は大切にして欲しいですね。
 実際、経済合理主義だけでは、可能性の芽を摘んでしまうんです。 私の研究だって、経済的に見れば実に非合理的です。「金にもならない研究をやって」なんてことも、よく言われる。しかし、誰かが時間をかけて、死体を未来に送らないと“箱舟”はできない。何の役に立つはわからないけど、いつか「残してくれてありがとう」と言われるときがくるはず。欧米では、そういった考えがしっかりしていて、哺乳類の標本収蔵数を比較しても、日本の博物館とアメリカやイギリスのそれでは、桁が1つ違います。世界最大の博物館であるアメリカの「国立自然史博物館(スミソニアン)」などは、標本数が100万に及び、日本の大きな博物館の数十倍に達します。こうした、すごい収蔵数のところには「未来に向けてのたくさんの発見」が残されているんですよ。もしかしたら、それはすごい発見かもしれない。どうです、話を聞いて「ワクワク」しませんか(笑)。
 現実の役に立つ科学も大切だけど、それと同じくらい基礎科学が重要なことがわかってもらえたでしょうか。自分の手で真実を掴み取る、その醍醐味をぜひ、多くの人に味わってもらいたいですね。
《文=WAOサイエンスパーク編集長 松本正行》 


遠藤先生の最新刊
『東大夢教授』リトルモア刊、1995円

東京大学総合研究博物館のWebサイト
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/
遠藤研究室のWebサイト
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/endo/