• 2014-05-19

フロントランナーVol.38

目指すはオリンピックの金メダル
町工場がつくるボブスレーで世界に挑む!

下町ボブスレーネットワークプロジェクト推進委員長
株式会社マテリアル社長 細貝 淳一

1966年生まれ。東京都大田区出身。92年、アルミ加工などを手がける株式会社マテリアルを創業。500社超の企業と取引する会社に育て上げる。「大田区優工場」認定はじめ「勇気ある経営大賞優秀賞」など各種賞を受賞。2012年には、自ら音頭をとり「下町ボブスレーネットワークプロジェクト」を立ち上げる。『下町ボブスレー 東京・大田区、町工場の挑戦』(朝日新聞出版社)を2013年末出版。

自分たちの手で「世界に誇る一品」をつくる!

長引く景気の低迷、産業構造の変化などにより中小企業の倒産が相次いだ。日本を代表する中小企業の街・東京都大田区でも企業の数はピーク時の半分になっている。そんななか、1つの組織が立ち上がった。「下町ボブスレー」ネットワークプロジェクト――。大田区の中小企業の力を結集してボブスレーを製造、冬季五輪への出場を目指す、というものだ。残念ながら、先のソチ五輪では夢は叶わなかったが、次のピョンチャン(平昌)五輪への出場は視野に捕らえた。下町ボブスレーの取り組みを通じて、日本の中小企業がもつ技とチャレンジ精神のすごさを見ていこう。

 ソチでボブスレーの試合が行われていたその日、私は競技会場にいました。残念ながら、私たちがつくった「下町ボブスレー」の出場は叶わなかったものの、オリンピックに対する思いはより強くなりました。「次の平昌オリンピックには出場してみせる。いや、出場するだけではない。上位に入るんだ!」。一緒にソチに行った仲間たちとそんなふうに話し合ったものです。
 以前は9000社を超え、日本経済の屋台骨を支えていた大田区の中小企業も、いまでは四千数百社にまで数を減らしています。景気の低迷、需要の変化、後継者不足など理由はさまざまですが、とにかく元気がありません。そんな大田区でモノづくりをする私たちが、ボブスレーを製作しオリンピックを目指すようになったのは、大田区の外郭団体の人がもってきた企画書がきっかけでした。企業の数が減ったとはいえ、大田区の技術力が失われたわけではありません。うまく技術交流ができれば、まだまだ新しいものを生み出せる。それくらい地域の潜在力にはすごいものがある。その企画書には、大田区の町工場が総力をあげて「世界に誇る一品」をつくり、「オリンピックの大田区」でブランド力を高めよう、と書かれていました。挑戦する価値はある! そう感じました。
 しかし、「なぜボブスレーなの?」って思うでしょうね。実は、日本ではそれほどメジャーではありませんが、ヨーロッパのボブスレー人気はすごい。山の上から時速135~150㎞で滑り降りてくる、その迫力が人気の秘密なのかもしれません。それだけ高速で滑るので、「氷上のF1」とも呼ばれます。また、F1にたとえられるのは、フェラーリやマクラーレン、BMWなど名だたる一流メーカーが手がけていることも大きいでしょう。いずれにしろ、F1カーと同じく「マシン」の性能が順位に大きく影響するんです。そのような世界で自分たちがつくったボブスレーがいい結果を残したら? 想像するだけでワクワクしませんか。
 加えて、日本チームが負っているハンデも、私たちがボブスレーの製作に取り組んだ大きな理由でした。
 メジャースポーツじゃないから日本チームの予算はいつもカツカツ。700万円もする新型を買う余裕などありません。使うことができるのは強豪チームのお古ばかりで、その強豪チームはといえばオリンピック前ともなると何台も新型を用意し、そのなかから最も滑るものを選びます。さらに、選手の体格にあわせて改造まで行なう。差は歴然ですよね。「スーパーカー対中古車の勝負だ」なんて揶揄されることもあるくらいです。こんな状況なので、日本の選手がいくら技術を磨いても、追いつくことすら簡単ではありません。
 トレーニングで差を埋めようと頑張っている日本の選手たちに、最高のソリで戦ってもらいたい――。いずれにしろ、A4の紙でわずか2枚の企画書がきっかけになり、私たちのボブスレーづくりはスタートしたんです。しかし、言うは易し行うは難し、乗り越えなくてはいけない壁はいくつもそびえていました。

世界と戦えるボブスレーが完成

細貝さんが企画書を手にしたのは2011年秋、翌年春には記者発表をして正式にプロジェクトはスタートした。まず、立ちはだかったのが「いかにして参加企業を集めるか」だ。費用は2000万~3000万円にもなるが、これらはすべて参加企業の持ち出し。1円の儲けにもならない仕事に、果たして手を挙げてくれところがあるだろうか? しかも、この段階では選手に使ってもらえるかどうかすら決まっていない。肝心のボブスレーづくりの難易度も高かった……。

 ここで簡単にボブスレーの構造を説明しておきましょう。
 ボブスレーには4人乗りと2人乗りがあり、私たちのボブスレーは2人乗りです。2人乗りの長さは軽自動車くらい(約3m20~30cm)で、幅は野球バットくらい(約85cm)。「カウル」「フレーム」「ランナー」の3つに大きく分かれます(上の写真参照)。
 カウルは選手を覆い隠す部分で、CFRPと呼ばれる特殊なプラスチックでできています。飛行機や自動車の軽量化などに使われているものですね。フレームはハンドルやブレーキなどが組み合わさった骨組み。こちらは金属製です。そして、ランナーが氷上に接する刃にあたります。ランナーはスピードやコントロール性能を左右するとても重要な部品です。このように構造自体は単純なのですが、微妙な違いがコンマ何秒に影響する。しかも、私たちはボブスレーをつくったことはもちろん、実物すら見たこともない。「やるしかない」、それが正直なところでした。
 それに加えて、上に書いてあるような問題が控えていたわけです。それらをそうやって乗り越えたと、みなさんは思いますか?
 私の呼びかけに集まったのは30社。CFRP(=カウル)の加工と空力抵抗の解析だけはわれわれにはノウハウがないので、大田区以外の会社の協力を仰ぎましたが、金属に関する部分はメンバーの1社が材料を提供し、200にものぼる部品の加工は各社が分担しました。その加工を終えたある社長が私に言ったんですよ、「こんな充実した仕事をやるのは久しぶりだ」って。なぜ、無償なのに多くの会社が手を挙げてくれたのかは、この言葉がすべてを物語っているでしょうね。
 出来もすごかった。難度の高い加工を易々とこなすのはもちろん、+αも加わっている。たとえば、ある部品の加工で設計図通りではなく、「○○したほうがいいように感じた」とします。感覚と想像力でしかないのですが、金属の特性を知りつくしているから何となくこうしたほうがいいことがわかる。で、実際、その通りにつくると性能が格段によくなるといったケースが数多く見られました。しかも、メンバー同士が連絡を取り、複数の部品が組み合わさっても狂いが出ないよう調整してくれます。図面を渡した翌朝に「できたよ!」とうれしそうに部品を持ってきてくれる社長さえいました。
 そう、先のいろいろな問題は、私が想像していたほど難しい問題ではなかったんです。でも、それは、中小企業が集積している大田区だからこそできる技でしょう。同時に、日本の中小企業がもつ底力、心意気のすごさを改めて感じたものでした。
 プロジェクトがスタートして約半年後、「下町ボブスレー1号機」が完成(12年10月)。初めてのテスト走行は12月に女子選手(吉村・浅津組)に協力してもらって、長野オリンピックで使われたコースで行いました。結果は、いきなりの好タイムでした。1回目で57秒台、2回目はなんと56秒250。それは、前の年に行われた全日本選手権の優勝タイムを上回るものでした。さらに、乗ってくれた選手の要望を取り入れ改良を施した1号機は、彼女たちの頑張りもあって直後に行われた全日本選手権でみごと優勝(女子2人乗りの部)! これなら、十分、世界と戦うことができる。俄然、「下町ボブスレー」の注目度は高まりました。
 2013年2月には、日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟と正式に協力協定を締結。オリンピックに向け男子選手に使ってもらえることも決まりました。そして、2号機と3号機の開発に着手します。一方、カナダで行われた初の海外遠征では7位という好成績をおさめました(男子2人乗り。下の写真がそのときの模様です)。インターネット関連会社にスポンサーになってもらえることも決定、運搬では大手物流会社の、データ収集では測定器メーカーの支援を得られることもできました。このように、翌年行われるソチ五輪に向けて、着々と準備を進めたのですが、冒頭でお話したようにソチ五輪では出場は叶わなかったんです。理由はレギュレーション違反でした。
 ボブスレーには大きさをはじめ、カウルやボディの形状や構造など、さまざまな決まりごとがあります。かなりアバウトな取り決めなのですが、私たちはクリアーする自信はありました。しかし、10月に海外で行われた大会で2号機に複数個所の問題が指摘された。選手は世界を転戦し、オリンピックに出場するためのポイントを稼がないといけない時期でした。問題を解消する自信はあったのですが、選手に不安な思いをさせるわけにはいきません。
 そして……、残念ながら、「下町ボブスレー」は不採用となったのでした。

中小企業には魅力がいっぱい

その後の「下町ボブスレー」だが、メンバーの気持ちが萎えることはなかった。不採用が決定した直後の全日本選手権では2位(男子2人乗り、徳永・和久組)、世界中の元トップ選手が集まるヨーロッパのシニア大会(男子2人乗り、脇田・大石組)でも9位に入った。プロジェクトの参加企業は約100にまで増加。ボブスレーの強豪国・ドイツの元代表選手から直接アドバイスを受けるなど、さらによいソリにするための努力も惜しまない。目指すは4年後に韓国で開催されるピョンチャン五輪への出場だ。それに止まらず、細貝さんは「優勝を目指す!」と高く目標を掲げた。

 いかがでしたか? 「下町ボブスレー」の活動を通じて、大田区の中小企業、いや日本の中小企業の魅力の一端を感じてもらえたでしょうか?
 中高生のみなさんがもつ中小企業のイメージといえば、「大企業の下請けで弱い存在」「技術も大企業のほうが優れている」といったものでしょう。しかし、日本の経済は中小企業が支えているといって間違いありません。数が多いだけでなく、技術力が優れたところはそれこそごまんとあるし、この会社なくてはあの製品はつくれないといった例もたくさんあります。私の会社もそんな会社のひとつです。アルミの精密加工技術ではどこにも負けない自信があります。
 私は定時制高校出身で、学校に通いながら職を転々としました。20歳を過ぎたころ金属材料の会社にいたときに、材料販売だけではなく加工、さらには最終製品まで手がけたらもっとお客さんに喜んでもらえることに気づきました。でも、勤めていた会社の社長は、私の提案に乗ってきません。だったら、自分で会社を起こそう! そう考えてつくったのが「株式会社マテリアル」という会社です。1992年、26歳のときでした。
 最近は起業する若い人が少ない、とよく言われます。たしかに、企業経営は楽ではありません。私自身も創業当初は、昼は営業と加工、夜も他の会社でアルバイトといった苦労を味わいました。でも、やり甲斐のようなものは常に感じていました。技術を磨けば磨くほど、お客さんに喜んでもらえます。ニースに応えたら、お客さんはちゃんと支持してくれる。そうやって、少しずつ会社を大きくしてきました。結果、いまでは上場企業を含む500を超える会社を取引するまでになりました。
 加えて最近は、下町ボブスレーのおかげもあって、問い合わせが増えてきましたね。売上げも順調に伸びています。他のメンバーの会社も同様。ほんと、地域が元気になってきました。
 次のオリンピックはまだまだ先ですが、それまでにも選手の育成や大会への出場など、「下町ボブスレー」がメディアに取り上げられる機会も多いでしょう。目にしたときはぜひ、応援してやってください。そしてもうひとつ、できれば自分たちが住む街の町工場にも目を向けてください。もしかしたら、その会社は「世界一の何かを持つ会社」かもしれない。あるいは、私たちになくてはならないモノをつくっているところかもしれません。そうやって興味をもってくれた人たちが、一人でも多くモノづくりの世界に入ってくれるとうれしいですね。
《文=WAOサイエンスパーク編集長 松本正行》

株式会社マテリアルのWebサイト
下町ボブスレーネットワークプロジェクトのWebサイト