• 2014-07-23

フロントランナーVol.41

食べるだけで運動したと同様の効果が!?
“梅”果実がもつ驚くべきパワーに迫る

近畿大学生物理工学部 准教授 白木 琢磨

1970年生まれ。京都大学農学部卒、同大学院人間・環境学研究科修了。アメリカ留学を経て、京都大学助手に。その後、生物分子工学研究所、大阪大学、東北大学などに勤務し、2011年、近畿大学生物理工学部准教授に就任。専門は基礎生物学で、核内受容体を通じて肥満の研究に取り組む。梅がもつ運動模倣機能の発見で注目を集めている。

梅入り餌でマウスの筋肉が変化した!

人間は誰しも、健康で元気に、そして美しくありたいと願っている。そのためには、食べるものに気を配り適度な運動を行う必要があるのだが、忙しい現代人は偏った食生活や運動不足に陥りがちだ。とくに運動不足は、中高年とって深刻な問題になっている。そんななか、近畿大学の白木先生は食べるだけで運動と同じ作用をもたらす食品を発見した。なんと、それは梅! 梅果実の中のある成分により筋肉の質が変わって運動模倣作用をもたらす、というのだ。夢のような研究とは果たして……。

 私が所属する近畿大学生物理工学部は和歌山県の紀の川市にあります。ご存じのように、和歌山は日本一の梅の産地。収穫量は全国の半分以上を占めます。これからご紹介する研究も、研究室の学生が地元の特産品ということで、梅を使った実験を行ったのがきっかけでした。具体的には、梅を与えるマウス(=梅の果実成分が4%入った餌)と梅を与えないマウス(=果肉成分ゼロの通常の餌)に分け、それぞれ流れるプールで泳がせました。そのうえで、泳げなくなるまでの時間(遊泳持続時間)を計ったところ、梅入りの餌を与え続けたマウスのほうが与えなかったマウスよりも長い時間泳げることがわかりました。梅には疲労をやわらげる作用があったのです。
 ここから、さらに骨粗しょう症や肥満などに梅が効くかを調べるつもりだったのですが、実験を進める過程で思わぬことがわかりました。何が原因で「抗疲労効果」が起こるのかを調べるため、マウスの足の骨格筋をすり潰してみたところ、梅を与えたマウスの筋肉が与えなかったマウスのそれに比べて赤みを帯びていたのです。これは、梅を与えたマウスでは有酸素運動にかかわる筋肉が増えたことを示していました。
 わかりやすいように私たちの体で説明しましょう。膝から足首までの部分の筋肉は大きく2つに分かれます。裏側=ふくらはぎのほうが腓腹筋(ひふくきん)で、その内側=脛(すね)に近いほうがヒラメ筋です。腓腹筋は速筋と呼ばれるタイプの筋肉で、瞬発的な運きにかかわっています。一方、ヒラメ筋は遅筋(ちきん)と呼ばれるタイプの筋肉で、こちらは持続的な運動に関係しています。使うエネルギーも速筋は糖(=グリコーゲン)なのに対し、遅筋は脂質と異なっています。この2つのタイプのうち、有酸素運動にかかわるのは遅筋。それが増えているとはどういうことなのか……。
 詳しく調べてみると、びっくりすることが起こっていました。
 梅を摂取することで、マウスの腓腹筋の一部が遅筋に置き換わっていたのです(=遅筋化)。下の写真はそのときの模様で、色の薄いところが速筋、濃い部分が遅筋です(特殊な溶液で遅筋だけを染色しています)。明らかに、左の梅を与えなかったマウスに比べて、右の梅を与えたマウスの筋肉のほうが、遅筋の量が多いですよね。そして、それぞれの写真の左側、縦に濃いラインのようになっている部分がヒラメ筋で、それ以外の部分が腓腹筋なのですが、梅を与えたほうの写真では腓腹筋のなかにポツポツと遅筋ができているのがはっきりとがわかります。この写真からも明らかなように、もともと遅筋だったところ(=ヒラメ筋)が増強されたのでなく、筋肉そのものが別のタイプにスイッチしたわけです。

梅を食べるとダイエットになる?!

では、速筋が遅筋に置き換わるとどうなるのか? ミトコンドリアというものが私たちの細胞の中にあることは聞いたことがあるだろう。酸素を使って糖や脂肪を燃焼しエネルギーに変える細胞内小器官なのだが、実は遅筋はこのミトコンドリアがことのほか多い。要するに、遅筋が増える(=ミトコンドリアが増える)ことで、遅筋のエネルギー源である脂肪の燃焼が促進されるわけだ。そもそも、遅筋を増やすには運動するしか方法がなかったのだが、それと同様の作用を梅の摂取がもたらしてくれたことになる。

 そう、ポイントはミトコンドリアの増殖なんです。速筋が遅筋に置き換わり、骨格筋のなかのミトコンドリアが増えた。そのことによって、脂肪代謝が促される――。では、どんなメカニズムでそのようなことが起こったのでしょうか。ごくごく簡単に言うと、梅を与えることによって、脂質代謝とミトコンドリアにかかわる遺伝子「Pgc1-β」が活性化することがわかっています。
 具体的には次のような実験を行いました。AとBの2つを比較します(実際は、他にもいくつかパターンを用意したのですが、ここではわかりやすくするため2つに絞っています)。
A 通常食のマウスに、1週間に3回、流水プールでの20分の遊泳運動をさせる
B 梅果実成分を加えた餌を与えたマウス。運動はなし
 3週間後、AとBを比べてみると、速筋の強化にかかわり筋肉を肥大させる遺伝子「Pgc1-α4」の発現量はAのほうが多く、BはAの半分以下でした。一方、遅筋に関係しミトコンドリアを増殖させる遺伝子「Pgc1-β」はBのほうがAよりはるかに多く発現しました(発現は「遺伝子が働きたんぱく質を作り出すこと」です)。
 まとめると、こうなります。
・梅果実の成分が遺伝子「Pgc1-β」の活性を促す
・Pgc1-βが活性化し発現することで速筋が遅筋に置き換わる
・遅筋が増えたことによりミトコンドリアが増加
・増えたミトコンドリアが脂質の代謝を促す
・これにより運動したのと同じような作用がもたらされる
 ちなみに、「Pgc1-α4」も「Pgc1-β」もともに運動によって活性化されるのに、梅を摂取することで「Pgc1-β」はよく発現するが「Pgc1-α4」はあまり発現しないなぜなのか? その点はよくわかっていません。また、梅を摂取しなくなるといずれは速筋に戻ってしまいます。遅筋の状態を維持するためには何が必要なのか、そのあたりの研究も今後、必要になってくるでしょう。
 一方、梅果実のどの成分がこうした一連の作用をもたらすかは、飲料メーカーとの共同研究によって明らかになりました。特許の関係もあって、具体的に「それが何か?」をここで示すことはできませんが、成分が解明されたことにより、商品化に向けた取り組みも始まっています。
 一番期待されるのは、お年寄りや、ケガなどで運動ができない人向けの商品でしょうね。うまく食生活の改善と組み合わせれば、肥満の防止、健康の維持につなげることができるはずです。また、遅筋は持続力にかかわるため、この研究成果はマラソンなど持久力が必要な競技で威力を発揮するかもしれません。スポーツ科学の分野での研究が進む可能性もあります。そして……ダイエット! みなさんは、こちらが気になるのではないですか(笑)。たしかに研究・開発が進めば、「食べるだけ」、あるいは「飲むだけ」で痩せる効果をもたらすものが、生み出されるかもしれません。ただし、運動は肥満を防止すること以外にも、いろいろな大切な作用を私たちもたらしてくれます。「本来的には運動はしないといけない」という点は、きちんと理解しておいてください。
 問題は「良薬は口に苦し」でこの梅の成分はとても苦いんです。たとえば、ドリンクにしてゴクゴク飲めるようなものではありません。苦味を抑えるためには甘さを加えればいいですが、これだと本末転倒になってしまいます。遅筋の状態を維持するためには、継続して摂取する必要があるので「おいしい!」は必要条件です。このあたりをどうアイデアと工夫で解決していくか……。クリアーしなくてはいけない問題は、まだたくさんあります。

私たちが知らない機能が身近な食品にも…

白木先生の専門は「核内受容体」だ。簡単に言うと脂質代謝・糖代謝にかかわる研究で、それがどう私たちの健康に影響するかを調べている。そんな先生が、研究者を志すようになったのは、中学生のとき、遺伝の不思議に魅かれたことがきっかけだった、という。自然と生物学の道に進んだのだが、「生物の世界は、知れば知るほど興味が湧いてくる」。身近な食べ物が、驚くような作用をもたらしてくれる――それも生物研究の醍醐味なのだろう。

 大阪の道修町に「少彦名(すくなひこな)神社」、「神農さん」と親しまれている小さなお社があります。有名な製薬会社街の中にあり、神農とは薬の神様のこと。この神様の名前には「農」の字が入っていますよね。昔から人々は農業(つまり食べ物)と健康は密接に関係していることがわかっていました。神農さんも、身近なものを食べて身体にいいものと悪いものに分類していた、といいます。
 実際、食べ物が健康に与える影響は大きく、梅はそのほんの一例に過ぎません。身近な食べ物が思わぬ機能を秘めている例は多く、よりすごいもの、みんなが驚く発見をしようと世界中の研究者がしのぎを削っています。そう、食品の機能研究は、とてもホットな研究分野なんです。一般的な食品だから成分なんてほぼ解明されているだろうと思われているかもしれませんが、必ずしもそうではありません。成分がわかっていても、そこに「隠れた機能」が潜んでいる可能性も十分考えられます。
 どうです? 面白いでしょ。
 さて、最後に私がいま関心をもっていることをひとつ。実は、民俗学や文化人類学と分子生物学との融合のようなものをもくろんでいるんですよ。肌や目の色など形質の遺伝はDNAによって子孫に伝わっていきますが、文化のようなもの、たとえば味の好みなどもDNA以外の何かで伝わるのではないか、そんなふうに考えています。実は、個性を許容するメカニズムをわざわざ生物はつくった。同じ遺伝子を引き継いでも、環境要因で個性が出るように仕組んでいるわけです。これと文化の伝承といったものが関係しているのではないか、たとえば食べ物によって……。簡単には解明できない問題ですが、それくらい生物には不思議が満ちている。本当に興味は尽きません。
《文=WAOサイエンスパーク編集長 松本正行》
近畿大学工生物理工学部動物栄養学研究室Webサイト