- 2012-11-07
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フロントランナーVol.5
私たちの社会を変え、生活を豊かにする
“身につける(ウェアラブル)”コンピュータ
神戸大学工学部 教授 塚本 昌彦
1964年生まれ。京都大学卒。京都大学大学院工学研究科修了。シャープで無線通信等の開発に携わったのち、95年大阪大学講師に。96年同助教授。2004年に神戸大学に移り工学部電子工学科教授。2004年よりNPO法人「ウェアラブルコンピュータ研究開発機構(チームつかもと)」の理事長も務める。
次はコンピュータを身につける時代に
人呼んで「ウェアラブルの伝道師」――。ウェアラブルとは「着用可能」という意味だ。神戸大学の塚本教授は、近い将来、人々が小型のコンピュータやディスプレイを身につけ街を歩くようになる、と予言する。そんな時代が本当に来るのだろうか? 疑問を持つ人もいるだろうが、決して大袈裟なことではない。コンピュータの小型化は、私たちの想像を超えてはるかに進み、着実に生活を変えている。果たして、コンピュータはどこまで進化するのか、社会や人々の生活とコンピュータの関係はどのようになっていくのだろうか。
いつもこんなかっこうをしているのか、ですか? ええ、ほぼ1日中(笑)。授業中はもちろん、通勤電車の中もこのスタイルです。頭につけているのは、ヘッド・マウント・ディスプレイ(HMD)といいます。手のひらサイズのコンピュータとつながっていて、目のところにある画面からいろいろなものを見ることができるんです。便利ですよ、ほんと。通勤中は録画したビデオやドラマを見ていますし、調べモノがあってもパネルを操作して簡単に見つけることができます。インターネットにもつながっていますから。
HMDをつけ始めたのは2001年の春ですから、もう12年近くにになりますね。当初は、カメラだと思われたのか、お店に行って不審者と間違えられたり、警察官に職務質問をされたこともありました(笑)。最近ですか? こういうモノを着けてもおかしくない時代になったのでしょうね、「何が映っているのですか?」とか「それは何ですか?」と聞かれることが多くなりました。
私にとっては、「自分の研究テーマにかかわることを試すのは自然だ」と思っているので、不思議でも何でもありません。加えて、自ら実践することで、自分の研究分野の注目度が高まるというメリットもあります。こうやっていろいろな人が取材にも来てくれるし、中学生や高校生にも知ってもらえるわけですから。
いまは携帯電話、スマートフォン、タブレットPCなど外で使えるコンピュータが普及していますが、やはり手で持たなくてはいけないでしょ。そうではなく、次の段階では「コンピュータを身につける」ことが普通になる。それも、そう遠くない将来だ、と私は考えているんです。
(メガネ型のディスプレイにヘッドフォン、情報端末がセットに)
従来発想ではない何かが生み出される
HMDはすでに国内外の多くのメーカーが販売している。2012年夏にはアップルが進出すると発表し、一部では大きな話題となった。しかし、まだ問題点も多く、広く普及するまでは至っていない。問題点さえ克服できれば・・・・・・。塚本先生の研究テーマは、HMDの活用法、利用環境や情報の入力方法、システム、無線通信などだ。その範囲は多岐にわたっている。
私のようなかっこうの人がいっぱいいる世の中なんて考えられない、という人もいるかもしれませんね。でも、私がシャープを辞めて大学で研究を始めたころ(95年)、同じようなことがありました。「人々が歩きながらコンピュータを使う時代が来る」と私は言っていたのですが、誰も信じてくれなかった。笑い話じゃないですよ、本当のことです。でも、みんなも知ってのとおり、10年経ってノートパソコンを持ち歩くのは普通になったし、いまやスマホの時代。このようにコンピュータの使い方というのは変化し続けているんです。かつてコンピュータは計算機と呼ばれて科学技術の計算に使われていました。それがパソコンの時代になって、ビジネスの世界に入ってきた。さらに、モバイルになって私たち個人の生活に入り込み、私たちの暮らしを変えた。性能がよくなり、小さくなり(=これをダウンサイジングといいます)、使い方が大きく変わったわけです。
コンピュータというのはね、本当に小さくなっているんです。たとえば、この写真を見てください(下の写真)。ダンサーの身体に何百というLEDと小さな小さなコンピュータがついている。その小さなコンピュータ一つひとつに指示を出し、音にあわせてLEDを光らせたり消したりする。同時に、ダンサーが踊ってパフォーマンスをするわけです。通常なら、一台のコンピュータが何百というLEDに指示を出すのですが、それだと無数のケーブルが必要になるからダンサーは動きが取れませんよね。こちらのほうは、無線でコンピュータに指示するので、ケーブルは不要。こんなことも可能になっています。
もっとも、「コンピュータがこんなに小さくなったらメールが打てないじゃないか」と言われそうですが、これからのコンピュータは従来の使い方とはまったく違うもの、豊かさや楽しさを提供していくようになっていくでしょう。いままでの発想ではない、何かがコンピュータの小型化によって生み出されていく、と考えてください。
HMDも、ビジネスなのか日々の私たちの生活の中なのかわかりませんが、ちょっとしたきっかけで爆発的に普及する可能性を秘めています。たとえば、中学生や高校生の君たちが大人になるころには、めがねやサングラスがすべてモニター画面になっていて、街角情報が自動で飛び込んでくるなんて当たり前になっているかもしれない。デートをしているときも、2人だけのBGMをHMDで流すなんて、ロマンチックだと思いませんか(笑)。
こういった応用事例を考えるのも私の仕事。とくに、LTE(新しい通信規格。従来の規格よりも大きな容量の情報をやりとりできる。動画などがさらに滑らかになる)の時代になって、どんどん可能性は広がっていくでしょうね。
ポジティブ思考で世の中を変えよう
2003年には「ウェアラブルコンピュータ研究開発機構(チームつかもと)」も立ち上げ、企業との研究も進めている。たとえば、夏に催されるバイクレース「鈴鹿8時間耐久ロードレース」でウェアラブル情報システムを使った実験も行った。他にも、医療の現場でも心拍数などの患者の状態を見ながらの手術や、整備の現場でマニュアルを見ながらの作業など、さまざまな活用事例が研究されている。ウェアラブルコンピュータを普及させるべく、塚本先生は精力的に活動している。
どうして研究者になったのか、ですか? もともとはシャープにいて携帯情報端末の無線通信の技術を開発していたんです。会社を辞めて大学の先生になるなんて考えてもいませんでしたね。留年しそうになったこともあるくらい、成績もあまり良くなかったし(笑)。ただ、シャープにいるときも、大学での研究は続けていて、先生から「大学に戻っておいで」と言われたのがきっかけでした。それはそれで、いろいろなことができて面白いだろう、と。
私自身は「ポジティブ(積極的)な思考」で、前向きに行動するタイプです。もっとも、「後先考えずに行動する」というわけではありません。HMDを着けたときもそうだし、大学に移ったときもそう。きちんと先のことを考えて行動しています。そのうえで、前向きに挑戦していく。それが大事だと思います。
いまの中学生や高校生にも、いろいろなことに取り組んでもらいたいですね。それも、誰も手がけていないまったく新しい分野に挑戦して欲しい。大変だし、しっかり先を見据える必要もあるけど、間違いなく一番面白いことですから。私自身は家電をはじめ日本のモノづくりの企業に元気がなくなったのは、こうした前向きな気持ちが失われてしまったからだと思うんです。だから、ワクワクするものが生み出せなくなってしまった。これからを担う若い人たちには、自由な発想で、私たちがびっくりするようなものを生み出して欲しい、と思います。
日本はもはやユビキタス社会(注)を迎えました。少なくともコンピュータに関しては、可能性は広がっている。自由な発想を活かす環境は十分整っています。期待しています。
《文=WAOサイエンスパーク編集長 松本正行》
注)ユビキタス社会とは・・・
「いつでも、どこでも」欲しい情報が得られ、大量の情報を交換できる社会。一方で、小型のコンピュータをさまざまなモノや場所に埋め、日常生活で活用することも進められている(=ユビキタス・コンピューティング)。前者は、日本においてはほぼ実現していると考えられている。