• 2013-01-08

フロントランナーVol.8

防災シミュレーションの第一人者
バーチャルリアリティによる減災を目指す

中央大学理工学部 教授 樫山 和男

1959年生まれ。中央大学理工学部卒。同大学院理工学研究科修了。広島工業大学助手、講師を経て、90年母校の理工学部土木工学科(現・都市環境学科)の専任講師に。93年助教授、99年教授に就任し現在に至る。専門は計算力学、土木情報科学で、大規模環境・防災シミュレーション研究の第一人者として知られる。共著に『並列計算法入門』『計算力学』『構造力学の基礎』など。

土木に進んだ原点は“鉄道写真”

樫山先生の所属する中央大学都市環境学科は以前、「土木工学科」という名称だった。みなさんは、土木工学と聞いてどんなイメージを抱くだろう? いつも作業着で土や木、鋼(はがね)、コンクリートを相手に実験を進める――。たしかに、そういう部分もあるが、樫山先生の研究内容は、それとはずいぶん異なっている。扱うのは気象や地形、建物などのデータとコンピュータだ。コンピュータを使ったシミュレーションで、快適で安全な街づくりに貢献する。バーチャルリアリティ(仮想現実=VR)も駆使する計算力学の最先端研究を、一緒に見てみていこう。

 以前、取材に来られた方にも「土木工学と聞いていたので、てっきり作業着で実験をしていると思っていた」なんて言われたことがありました。もちろん、作業着を着て、実験室で対象となる空間を再現し実験するというのも重要な研究なのですが、土木工学というのはとても幅が広く、そればかりではない。一言で言うと「人が中に入って生活する建物を扱うのが建築、それ以外は土木」。たとえば、橋や道路、ダムの建設はそうだし、町並みの景観や都市計画なども土木工学の範疇に入ります。東京や大阪など大都市で行われている再開発も土木の仕事。だから、デザイン的な要素や法律、経済(国や自治体の予算)といった社会科学的な部分との関わりも深いんです。
 自分が住んでいる場所の「環境」と密接に関係している分野、人間が生きて行くうえでの「安心」「安全」「快適」の基盤をつくっているといえばいいでしょうか。工学はどれも私たちの生活に直結していますが、とくに土木工学は「安心」「安全」のウエートが大きい。先の震災を経て、ますます重要性は増しています。
 そんな土木に私が興味を持ったのは、乗り物好きだったことが関係しています。いわゆる“撮り鉄”で、小学生のころにはSL写真に夢中になっていました(笑)。東京から和歌山まで列車を乗り継ぎ、写真を撮りながらの一人旅なんかもしたものです。で、そうした鉄道ファンが好む撮影スポットには、たいてい森があって川が流れていて、鉄橋やトンネルがあって・・・・・・という具合に土木構造物が多い。そこから、鉄橋とかダムなどに関心をもつようになって、土木の世界に入っていったわけです。
 一方で、学部を卒業するころはコンピュータが普及し出した時期にあたります。そして、計算力学という新しい学問分野が登場しました。土木工学と情報科学とが融合した分野で、私もそちらに進んでいったのです。そのころのコンピュータですか? いまとはまるで性能が違いますからね、計算の規模も小さく、また計算時間もかなりかかって苦労しましたが、やり甲斐は感じていた。高性能のコンピュータが比較的容易に手に入るようになったいまでも、大規模な計算となると1台のコンピュータでは全然処理が追いつかない。研究室にある並列コンピュータ(コンピュータをネットワークでつなぎ、複雑な計算を短時間で処理できるもの)も、当初は大学からいらないものを譲り受け、学生と作り上げたものです。先端科学の陰には、こういう地道な作業も隠れているものなんですよ(笑)。


(新宿高層ビル街の風の流れもこのとおり)

さまざまな分野に活用されるシミュレーション

樫山先生の研究室のパソコンには、たとえば上の写真のような画面が映し出されている。真ん中にあるのは新宿の高層ビル群。緑の線は風の流れだ。ひと昔前なら、体育館のような建物の中に実物を小さくした模型を並べ、風を起して影響を調べていたのだが、いまはそれがシミュレーションで可能になっている。様々なデータを収集して、適切にプログラミングすれば、実際に起こるであろう現象をパソコン上で再現できる。それが、シミュレーションの威力である。この技術を樫山先生は防災や減災(災害が起こっても被害を最小限に減らす)に役立てようとしている。

 コンピュータを使ったシミュレーションは、いろいろな分野で活躍しています。たとえば車の開発。どのようなデザインなら空気抵抗を減らし、早くかつ低燃費で走ることができるかなどがコンピュータ・シミュレーションで調べられています。製造業の現場ではかなり浸透していますね。ニュースで、そうした映像を見た人も多いのではないでしょうか。
 私の場合は、都市計画、防災、環境をキーワードにテーマを設定し解析を行っています。たとえば、ある場所で大雨が降った。その際、A市ではどのように洪水が起こり、どこが危険か。A市の地形や建物を調べ、そのデータを入力し、コンピュータ上で再現してみる。地震や台風、大雨のような大規模災害は、実験では再現が難しいし、できたとしても時間と手間がかかるのですが、シミュレーションなら容易に行えます。そうやって現在の対策で十分なのか、改善するとしたら何から手をつけるべきかの判断材料にするわけです。
 問題はデータなのですが、最近はデジタル地図の進歩で、かなり正確な地形や建物データを得られるようになりました。気象に関する数値情報も蓄積されている。プログラミングも長年の研究による積み重ねがあるし、それは日々、進化もしています。ただし、シミュレーションだけですべてが解決できるわけではなく、たとえば建物の被害状況をシミュレーションで予測しようとなると、現地に行って、一つひとつの建物が木造かコンクリートか、建物の強度などを調べたりします。こうした努力が予測の精度を高めていきます。
 具体的にどんなシステムをつくったか、ひとつ例を挙げてみましょう。以前、開発したものですが、短時間で台風時の高潮発生時刻と潮位を予測する、というシステムがあります。1959年に東海地方を襲った伊勢湾台風のデータをもとにしています。これがあれば、被害が及びそうな地域の人たちにいち早く避難を促すことができます。それ以外にも、写真(上)のような都市部の風の流れはヒートアイランド現象の対策を考えるうえで非常に役に立つ。こうした研究を、企業や自治体などと協力しながら進めているんです。
 そして、さらに私たちは、このシミュレーションにバーチャルリアリティの技術を取り込む研究も行っている。これを使えば、より詳しく問題点や改善点などもわかるようになります。


(CGを駆使してリアルさも追求)

人間の心理を取り込んだ防災も

バーチャルリアリティとは、コンピュータの作り出す仮想の空間を、現実のように知覚させる技術だ。ゲームなどではさかんに使われているので、見た人も多いだろう。樫山先生の研究室では、その大規模な装置(没入型VR装置=写真上)をつくり研究を行っている。CG(コンピュータ・グラフィック)を駆使した映像は迫力そのものだ。今後、これを使った防災教育なども行う予定だ、という。

 たとえば、これは四国のある町の様子です。データを集めて、CGにし、特殊な処理をしています。この映像を液晶シャッターメガネと呼ばれるものを通して見ると立体映像になります。いわゆる3Dですね。さらに、私たちの研究室の装置では、津波が押し寄せてくる臨場感を高めるために津波を模擬した音を出すこともできるんです。どこまで津波が押し寄せ、どこなら安全なのか、一目瞭然でわかるとともに、津波の怖さといったものも体験できます。他にも、洪水であるとか、風の影響であるとか、さまざまな研究をバーチャルリアリティ技術を使って行っています。まさに、その現場にいる感覚を味わえるわけです。
 今後は、人間の心理や行動もデータとして取り込んでいきたいですね。災害が起きたとき、人間はどんな心理状態になり、どのように行動するのか――これも人的被害を最小限に抑える重要な要素。現段階では、災害の映像を見て人々はどんな心理状態になるのか、脳波を測るなどの研究を始めたばかりで、心理学など他の分野との連携も必要なので容易な研究ではありませんが、学生たちと一緒に頑張っていきたいですね。一方で、リアルタイム・シミュレーションにも力を入れています。台風や津波が起こったときに、被害予測などを瞬時にシミュレートできれば被害を少なくするための対応が迅速にできる。建物や地形なども考慮した3Dシミュレーションのリアルタイムの予測には、コンピュータの性能など技術的な問題もありますが重要な研究。難しいけど、とてもやり甲斐があります。
 いかがでしょう、ここまで読んでもらって、少しは土木工学に興味をもってもらえたでしょうか? 最近は、中央大学のように名称を変更する大学も多く、東京大学なら「社会基盤学科」、京都大学は「地球工学科」、早稲田大学は「社会環境工学科」という具合ですが、社会の「安心」「安全」「快適」を目指すという基本は一緒です。東日本大震災で、土木の重要性は一段と増している。加えて、日本の土木の技術や研究は世界でもトップクラスです。若いみなさんには、安全・安心で快適な日本および世界を築くうえで、大いに力を発揮してもらいたいですね。
《文=WAOサイエンスパーク編集長 松本正行》


(研究室のVR装置は防災教育にも有効)

中央大学理工学部のWebサイト
樫山研究室のWebサイト
VRミニ博物館