• 2013-02-27

フロントランナーVol.11

ウインクだけで操作可能な車椅子を開発
生体信号処理技術で未来を切り拓く

慶應義塾大学理工学部 准教授 満倉 靖恵

徳島大学大学院博士後期課程(短縮修了)、東京大学大学院医学研究科で学び、1999年徳島大学助手、2002年岡山大学講師、2005年東京農工大学助教授(のち准教授)に。2011年慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科准教授に就任。生体信号処理、脳波解析などをキーワードに、社会に役立つ画期的なシステムの開発に取り組んでいる。

身の回りにあふれている信号処理技術

「信号」と聞いて、みなさんは何を想像するだろうか。道路にある信号? 普通はそうだが、慶應義塾大学の満倉先生が研究対象とする信号は、それとは少し意味合いが異なる。実は、私たちの周りには信号や信号の処理技術があふれている。たとえばリモコンを使ってテレビのチャンネルを変えるのも信号処理だ。スマホのアプリを動かすのも同様。さらに、私たちの身体の中には微小ではあるが電気が流れていて、それらは生体信号と呼ばれている。満倉先生はその信号の技術を活かした画期的なシステムを次々と開発、それらはいま社会のさまざまな場面で活用されようとしている。

 まずは、昨年(2012年)開発し、とても注目を集めた技術からお話しましょう。高校生向けのテレビ番組でも紹介されたので、知っている人もいるかもしれませんね。システムデザイン工学科の同僚である高橋正樹先生(准教授)と共同で開発した「まばたきで操作できる車椅子」で、両目を素早く2度まばたき(ダブルウインク)すると前進、片目のそれぞれのウインクで右折・左折するというものです。
 これは、人間が筋肉を動かす際に発生する電気(=生体信号)を利用しています。生体信号には脳波、心電、筋電などがありますが、脳波は中高生でも聞いたことがあるでしょうね。心電は心臓の筋肉が動いて出る電気信号で、心臓の働き具合をみるためお父さんやお母さんの健康診断ではそれを調べています。この車椅子のシステムでは眼の周りの6か所に取り付けた電極で、筋肉が動いたときに出る信号(=眼電)をキャッチ・解析し、前進や右折・左折の入力信号に変換、進路を変えるという仕組みになっています。
 「間違って信号処理をしないのかな?」と思われるかもしれませんが、その点は大丈夫。通常、生体信号は個人差があるのですが、眼電は生体信号のなかでも特別で、ほとんど個人差がありません。だから、誰がその車椅子を使っても動くし、無意識でするまばたきとウインクもきちんと見分けることができます。 “正解率”は98.8%。残りは識別できないと判断し、車椅子が動かないようになっていて、安全性も確保されています。
 身体につける器具はとても小さい。普通のパソコンでも、スマートフォン・サイズのパソコンでも動作可能です。椅子に乗る人に合わせてまばたきの種類と、進路など動きの組み合わせを変えることができる点も優れています。とにかく利用者の負担は極めて小さく、「思ったよりスムースに進む」「ぜんぜん怖くない」「使ってみたい」などとても好評でした。実用化ですか? ええ、それに向けてすでに動き出しています。もうしばらくしたら、全国に何十万人もいるといわれる「足に加え、手の力も弱い人」に利用していただけるようになるでしょうね。

(動画①「簡易型脳波計で「快」「不快」などを解析」)

脳波の組み合わせから心の状態がわかる

満倉先生の研究室が扱う分野は、実に幅広い。先の生体信号に加え、音声や画像から必要な情報を抽出し、システムとして応用する研究も行っている。それらは社会のいろいろな場面で活用、もしくは活用されようとしている。たとえば、これから紹介する簡単な機器で脳波を解析し、リアルタイムに「快」「不快」を測定する装置は、マーケティングへの応用が可能だ。人の顔の動きに瞬時に追従するアバターシステムは、ゲーム業界を中心に世界中から引き合いがあるという。音声だと口笛だけでパソコンの画面がスクロールできる技術を開発した。いずれも、社会の基盤技術になり得る可能性を秘めている、といって過言ではないだろう。

 これは動画(上の動画①)を見てもらいましょう。頭についているのが簡易型の脳波計です。スマホの画面にある、白い顔のアイコンが刻々と変化しているのがわかりますか? ストレスの度合いがパーセンテージで示されたり、いま脳が快適な状態なのか、不快な状態なのかがリアルタイムで表示されています。額につけたセンサで感情や感性を司る場所の状態を測定しており、そこから出てくる微弱な電圧を周波数に変換することで脳波の種類を解析しています。これと、10年以上にわたって蓄積してきた、どんな脳波の状態なら人間は「快」「不快」を感じているのか、といったデータと組み合わせて特定していくわけです。音や味、製品に対する興味度などに関するマーケティングに、このシステムは活かされようとしています。
 難しいのは脳波に混じるノイズの除去で、純粋な脳波だけを取り出すのは、実は簡単ではありませんでした。しかし、長年の信号処理の研究でそれが可能になりました。
 この研究を進めるにあたっては、きっかけがあったんです。ALS(筋萎縮側索硬化症)という病気をご存じですか? 筋肉がやせ細ってしまう難病で、進行すると眼球しか動かせなくなってしまいます。自分の意思も表せない。でも、ある患者さんに、私たちがつくった脳波測定システムを使ってもらい、「はい」「いいえ」だけだけど、ご家族と患者さんがコミュニケーションを取ることができるようになりました。もっともっと研究を進めて、たとえば「思ったことを文字で表せるようにしよう」と思いました。そうしたなかで、いま見てもらったようなシステムも生まれてきたんです。
 2番目の人の顔の動きに瞬時に追従するアバターシステムは、いろいろなところから引き合いがきていて、今後、どのような展開になるか、とても楽しみな技術です。パソコンの上部に取り付けた小型のカメラ(Webカメラ)で人の顔の動きを認識し、それに画面上のアバターが連動するというもので、「初音ミク」を使ったデモをYouTubeにアップしたらものすごい反響がありました(下の動画②)。追跡する点を14か所に絞り、計算速度を速めたところが、このシステムのポイントですね。表情もそのまま出るので見ていて、楽しいですよ(笑)。みなさんもぜひ、ご覧になってください。音声だと、口笛だけでパソコンの画面がスクロールできる技術を開発、これはまだまだ発展させなくてはいけないと思っています。口笛だけでマウスのポインタが動き、クリックできるところにまでもっていくのが目標です。ほんと、やるべきことがたくさんあります。

(動画②「顔の動きを高速で追求できるアバターシステム」)

素質は数学力ではなく「好奇心」

満倉先生はとてもパワフルな研究者だ。いま見てきたように、いろいろな分野の研究に取り組む一方、プライベートでも超がつくほどの行動派。「研究も精一杯やるけど、遊ぶときにも徹底的に遊ぶ」がモットーだという。そのうえで、好奇心旺盛だ。気になったものはすぐに飛んでいって見るという。「文系・理系は関係ない。好奇心旺盛な人が、この分野の研究や技術の開発に向いている」――「どんな人がこの研究に向いているのですか」という質問に対して、満倉先生はそう強調した。

 ITの世界はものすごく進歩していて、数年前だったら出来なかったことが、いまでは簡単に実現できる――そんなことは山のようにあります。私の研究も同様で、技術の進歩で可能になったものはたくさんあります。BCI(ブレイン・コンピュータ・インターフェイス=脳から情報を読み取り機械を制御する)も、これからますます発展していくでしょう。
 そのような状況で必要なのは何か? 知識ではなく、好奇心なんです。「これを使ったら何ができるだろう?」「あれ? この問題はこうしたら解決できるんじゃないかなぁ」「これとこれを組み合わせたら面白いことができるんじゃないか?」。そういった発想や、着眼点がいまとても重要になっています。突拍子もないアイデアから、すごいモノが生まれたりするわけです。だから、「数学が苦手だから」だとか、「物理や化学がチンプンカンプン」などといわないで、「自分では文系人間だ」と思っている人にもぜひ、飛び込んで欲しいですね。
 私自身は、父の母も理系の人間で、自然と科学に関心をもち大学の工学系に進みました。研究者になろうと思ったのは、そうですねぇ、学部の4年生のとき、国際学会に参加する機会があり、ベストペーパー賞とベストプレゼンテーション賞をいただいた、その時でしょうか。とにかく、苦労が報われた喜びは大きかった。それからは研究が楽しくて楽しくて(笑)。もっともっと楽しいことを見つけて、とことん追究していきたい。
 これから高校や大学を目指そうとしている中高生のみんなさんも、もっと好奇心をもって社会や身の回りのもの、自然などを見て欲しいですね。「大学に入ることだけが目標!」といった狭い視野はよくありません。いろんなことにじかに触れたり出合ったりすることで、自分の進むべき道、本当にやりたいことが見えてくる、私はそう思っています。
《文=WAOサイエンスパーク編集長 松本正行》

慶應義塾大学理工学部のWebサイト
満倉先生の研究室のWebサイト

《関連記事》
私たちの社会を変え、生活を豊かにする
“身につける(ウェアラブル)”コンピュータ
神戸大学工学部 教授 塚本 昌彦